食事も生活もすべてが贅沢三昧

食事も生活もすべてが贅沢三昧

宋美齢のところには、毎日ファンレターが届いたとされていますが届くファンレターの数は毎日数百通だったことから、彼女のアメリカでの人気ぶりがわかりますね。そしてハリッドでも有名な俳優達を前に、こちらでも演説します。その会場にいたスターには、イングリッド・バーグマン、ハンフリー・ボガード、キャサリン・ヘップバーン、おまけに子役時代からずっとスターだったシャーリー・テンプルといったすごい豪華なメンバーです。そんなハリウッド大スターの前でも、もちろん堂々と演説をして、大きな拍手喝采を受けるだけじゃなく金銭的にもかなり大きな支援をうけることに成功しています。

美しくなりたーーーーい

彼女の実像

この彼女が演説して、アメリカ人から募った義損金ですがこれをどうしたのか・・。というと、彼女の贅沢代に消えてしまっているというからこれまた彼女の普通じゃないとされるところですね~

「私が演説して集めた寄付金だから、私が使っていいのよ」のような発想でしょうね。

義捐金の使い道

ちなみに宋美齢の1年間の化粧代金は年間400万ドル!!!!ひぇーーーーーーー。という金額ですが、これだけ化粧品に使うなら、もちろん他のものにもガンガンお金を使っていますよ!毛皮にも費やします。そしてお金持ちご自慢のジュエリーですね。なんといってもチャイナドレスに宝石を縫い付けて着てしまう女ですから。ビーズのようにジュエリーを使っちゃうんでしょうね。そしてアメリカの各地で滞在するのは、こちらもファイブスターの超豪華なホテル。宿泊代金の高級ホテルも、もちろん義援金で支払われてしまっています。

1943年11月という第二次世界大戦の最中に、戦後の対日方針を協議するためにエジプトのカイロで開催されました。この「カイロ会談」に出席したのはイギリスのウィンストン・チャーチル首相そしてアメリカはフランクリン・ルーズベルト大統領。そして中国国民主席として蒋介石。もちろんこの場にもドラゴンレディの宋美齢も蒋介石の通訳として参加しています。この通訳の時にも、蒋介石の通訳としてそしてスポークスマンとして、蒋介石の会見相手の仲介をしています。ここでも、アメリカ下院議会の会場で演説したときと同じように、見事な美貌と外交力を大いに発揮した出来事です。

本性は野心家

お嬢さま育ちだけではなく、かなりの戦略家でもある権力をキープするための能力が、夫の蒋介石よりも上ではないか?!と思えるような宋美齢ですが、アメリカの政治ジャーナリストで特に知られているのが、第二次世界大戦中の中国での戦時レポートで有名なセオドア・ホワイトが、宋美齢のことを「冷淡でいわゆる愛人タイプの女性」と語っているほかに、ルーズベルト大統領の次男エリオット・ルーズベルトは「蒋介石夫人は、男の歓心を得ることばかりに長く従事していたので、今ではそれが夫人の第二の性格のようになった印象を受けた。彼女の本来の性格は、多分に恐ろしい者のように見えて正直言って怖かった」という荘園が残されているので、ルーズベルト大統領夫人のエレノア・ルーズベルトとにこやかに話をしている姿を身近にみていても、宋美齢の本性は見事に見抜かれています。

ルーズベルト夫妻と似たような夫婦関係だったように、蒋介石にもたくさん愛人がいましたが宋美齢もよろしくやっていたようで、アメリカ人宣教師やオーストラリア出身の男性と不倫関係にありました。お互い権力を掌握しつづけるために、夫婦で力を合わしているような夫婦関係とでもいいましょうか。1950年4月には、台湾で自分が中心となる組織も設立したりと、宋美齢の権力はますます強大なものになっていきました。

セレブのお食事

蒋介石の死去

台湾とアメリカを親密な関係になったことに、かなり宋美齢は活躍したといえます。でも毛沢東の中華人民共和国もソ連というバッグもあって、国連に復帰したりそして国連でのポストを台湾は脅かされるようになりました。もちろん宋美齢もそれを阻止するために、彼女持ち前の外交で頑張りますが、なかなか思うようにいかなくなります。遂にはアメリカから「二つの中国」の配慮を受け入れるように勧告されたりと、かつての鼻息の荒さは通じなくなっていきました。

そして蒋介石が1975年4月5日に台北で病死します。これが大きな転機になりました。蒋介石が死去してから23日目に国民党全体中央委員会の臨時会議が開催されて、そこで党規があらためらることになります。

蒋介石の一番最初の妻、毛福梅との間にもうけた蒋介石の長男の蒋経国が、国民党主席兼中央委員会常務委員会主席に就任しました。そして蒋経国が国民党の中で支持基盤を確立たことで、やばい・・私の政治の基盤がだめになってしまう・・・。とアメリカへの移住を決めました。

もちろん住まいも中途半端なものではありません。ニューヨークロングアイランドの広大なお屋敷に住んで、たまにマンハッタンに出かけて画廊をのぞいたり自分でも絵筆をとったりしながらも、虎視眈々といつか台湾で自分が政権をとるぞ。と狙っていたようです。そんな野望があったからでしょうかね、宋姉妹の真ん中で孫文の妻だった宋慶齢は、台湾に逃れた蒋介石と宋美齢と一緒に台湾に逃れることはしないで、中国大陸に残っていました。そんな姉が晩年には中華人民共和国の名誉国家主席となっていてガンで危篤になり、中国から姉を見舞いにきてはという訪問の打診を受けていますが、これまたきっぱりNOです。

結局なんとか再び台湾の権力の座へ返り咲こうと、根回ししたりしていたものかつてのようにはいかず、国民党主席の座に付いた李登輝のときには、確実に宋美齢の影響力を弱めていくことに成功しています。あーもうだめだと思ったのでしょうかね。晩年はロングアイランドから、マンハッタンのアッパー・イーストサイドにある高級アパートに住まいを移して暮らしていますがその広さがすごい。9階と10階のフロアーを合わせて1000平方メートル以上!!廊下で使用人とすれ違うことのないように、廊下も使用人とは別。そして台湾の政府からあてがわれている警護員や看護師そして料理人に囲まれて、晩年をすごしました。

おそらくずつーーと贅沢三昧の日々だったので、料理人は毎日「ツバメの巣」が素材の料理を作らせていたのでしょうね。アメリカで生活しているにもかかわらず、台湾政府は台北に常にキャデラック・フリートウッド・リムジンを待機させていたそうです。今でもその車を見ることができます。南京市の近郊にある「美齢宮」と呼ばれているところで公開されています。